午前10時30分 近鉄 道明寺駅 集合して、
道明寺天満宮をめざします。
歩いて、10分程度で天満宮に到着。
道明寺天満宮
土師氏の子孫、菅原道真公を祀る天満宮。もとは、
土師氏が、遠祖天穂日命を祀る土師神社を設けた
のが、はじまりであり、道真公が、亡くなったあと、天満宮として創建されました。
遺品のうちが、6点が国宝となっています。
天満宮内の境内に 梅林があり、白色・黄色・紅色の花が 咲き始めていました。
満開には、少し早く 1週間後とのことで、残念でした。
道明寺
菅原道真公の先祖である土師八島連が、氏寺土師寺
を建立したのが、はじまりであると言われていて、
のちに土師寺から、道明寺とあらためられた。
ご本尊の十一面観音菩薩像は、国宝です。
18日が、開帳日であったが、コロ禍のため、見ることができず残念でした。
昼食
天満宮近くの「梅廼家」にて、美味しいランチをいただきました。
コロナ対策を十分とって頂いて、大広間で、それぞれ、充分な間隔のなか、楽しいひと時を過ごせました。
午後1時から、藤井寺観光ボランティアさんの案内で、古市古墳群めぐりを行いました。
三ッ塚古墳を皮切りに 盾塚古墳⇒ 応神天皇陵古墳⇒ 誉田丸山古墳⇒ 大鳥塚古墳⇒ 赤面山古墳⇒
古室山古墳⇒ 仲津姫命陵古墳⇒ 鍋塚古墳の9つの古市古墳群をガイドさんの丁寧な説明を聞きながら、巡りました。
主だった古墳を写真と共に 説明をします。
応神天皇陵古墳
二重の濠と堤で囲まれた古市古墳群最大の前方後円噴。墳丘は、425m、百舌鳥古墳群の仁徳天皇陵に次ぐ、日本第2位の大きさを誇ります。
5世紀前半築造と言われていて、古くは、誉田八幡宮のご神体として祀られてきたため、深い緑に覆われ、自然の豊かさがある古墳です。
前方の西側は、734年の地震で崩落したとのことです。周囲にいくつもの陪塚(誉田丸山・東馬塚・栗塚・東山古墳)があり、大陸から伝わったとされる馬具、鉄製品などが、発掘されている。応神天皇は、仁徳天皇の父とされる大王で、中国や朝鮮半島とのかかわりが深い人物とされています。
大鳥塚古墳
5世紀前半の前方後円墳。後円部が、前方部に比べ6mも高く、古い古墳の特徴とされています。
たくさんのクヌギが植えられていて 秋には、どんぐりを拾うことができます。
古室山古墳
津堂城山古墳に次いで造られた、前方後円墳で、登れる古墳の代表格。後円部からは、近隣の古墳は、もとより、遠くあべのハルカスや二上山を望むことができ、360度のパノラマを楽しめます。
春は、梅に桜、夏は、新緑、秋は、紅葉と四季折々の美しい姿を楽しむことができます。
4世紀後半の築造とされています。
赤面山古墳
西名阪高速道路の下にひっそりとある古墳。
この小さな古墳を守るために、いろいろな工夫がされていて、道路を支える柱を太くして数を減らし、側道も大きくカーブしています。
仲姫命陵古墳
古市古墳群の中では、応神天皇陵古墳に次ぐ大きさで、広い堤と幅の狭い濠が特徴です。
造られた当時の形を残す古墳で、この古墳ができたころから、巨大古墳の周りに陪塚がみられるように
なったと言われています。
4世紀後半に造られた、前方後円墳です。堤の北側から見ると、古墳のある台地の高さが、よくわかります。
鍋塚古墳
土師ノ里駅の近くの古墳。
墳丘を登ると、2基の大型古墳を見渡せる絶好のポイント。
仲姫命陵古墳の陪塚と思われます。
三ッ塚古墳:八島塚・中山塚・助太山古墳の3基の方墳は、ひとつの濠に囲まれています。
南側の辺が、東西に一直線となっています。
八島塚古墳と中山塚古墳の間の濠から、大小2基の修羅とてこ棒が発見されいます。
修羅とは、巨石を運ぶそりのことです。
午後2時30分ごろ、グループごとに分かれて、見学して、土師ノ里駅にて、解散となりました。
担当 1班