12月17日講座                 四天王寺めぐり

午前10時 JR天王寺駅集合して、四天王寺巡り。

 

徒歩10分 庚申堂に参拝。

山田 敏明さんの案内によりスタート。

日本で最初の庚申尊出の現地。本尊は、青面金剛童子。

大宝元年(701年)正月7日庚申の日に四天王寺の高僧が、疫病に苦しむ人々を救わんと、一心に、天に祈ったところ、童が現れ、

無病息災の霊験を示され、本尊をお祀りするようになったと伝えられている。

庚申信仰は、このお堂から始まったと言われていて、その信仰とは、次のよう事です。

平安時代、中国から伝来したもの。道教の教え 三尸説をもとに、仏教、特に密教・神道・修験道や民間の信仰や習俗などが絡み合った複合信仰と言われいる。

三猿:8世紀ごろ天台宗の学僧により、論語にある不見・不見・不言の教えが伝えられたと言われていますが、庚申堂にある青面金剛

には、足元に三猿を描くことが多く、見ざる、聞かざる、言わざる

の発祥と言われています。

 

 

 

四天王寺

日本書紀によると、593年に荒陵の地に建立され始めたと記述ある。

聖徳太子が、建てた寺で、日本最初の官寺です。仏教の宗派にこだわらない「和宗」の総本山として独立しています。

 その伽藍配置は、「四天王寺式伽藍配置」と言われていて、南から北に向かって、中門、五重塔、金堂、講堂を一直線に並べ、それを回廊で囲む形式になっています。

日本では、最も古い建築様式で、6~7世紀の大陸(中国・朝鮮半島)にみられたもの。

明治以後 維新の神仏分離令により、所属していた神社が、離され 厳しい状況に置かれたとのことですが、

庶民信仰の寺・お大子様のの寺として、深い信仰を受けております。

過去を振りかえると、江戸時代、何度も火災事故があったが、徳川秀忠により、再建されたお堂があり、また

自然災害(1934年 室戸台風)や戦争(第二次世界大戦1920年 大阪大空襲)などにより、多大な被害を被ったわけですが、その都度、各方面の方々の協力を得て、復興のへの努力がなされ、ほぼ現代では、旧観に復しています。

宗派も戦後まもなく、太子創建の寺であることから、天台宗から、独立し、和宗を創立し、総本山になり、

仏法の興隆と太子精神の高揚を本願とする寺として、再生いたしました。

総面積3万3千坪(約11万平米)

境内には、伽藍のほか、聖徳太子の御霊をまつる聖護院があり、創建当時のの品々500点余りの国宝・重要文化財を所蔵する宝物館もあります。

また、新西国三十三観音霊場第一番となっています。

 

 

 

午後 天王寺駅近く 「がんこ」にて昼食そして、各班ごとで、3月4日の修学旅行の行き先等打合せ後 解散