午前10時~12時 館内をガイドさんの案内にて班ごとに、狭山池のルーツと土木建築
午後1時~3時 館内で知り得た知識で、狭山池一周する
狭山池博物館
午前10時 狭山池博物物館入口にて、集合して今日の講習の説明を ディレクターより説明をありました。
入館後 4班に分かれて それぞれ ガイドさんの説明を聞きながら 館内を見学する。
館内は、7つのゾーン(①狭山池への招待②狭山池の誕生③古代の土地開発と狭山池④中世の土地開発と狭山池⑤近世の土地開発と狭山池⑥明治・大正・昭和の改修⑦平成の改修)に分かれています。
第1ゾーン(狭山池への招待)
狭山池が、いつごろ造られたのか謎でしたが、平成の改修工事で、堤の東から、コウヤマキの樋が発見され、その年輪から、西暦616年ごろ造られたことが、分かった。
推古天皇・聖徳太子の時代で、仏教を盛んにしようと、寺院や都市・道路の整備そして、諸外国(中国・韓国)と対等な関係を作るため、水の確保し、農業を盛んにして、日本を豊かな国にしようとして、狭山池が造くられたと言われています。
下図は、古い北堤を南北にうすく切り出して館内に移したもの。幅62m高さ15.4m 断面には地層が何層にもなっていて、何度も改修の跡があります。
東樋(西暦1608年につくられたもの)
7世紀初めの樋で、コウヤマキでつくった管を7本並べて作り、長さ60mの長さ。つなぎ目の工夫により、水が漏れないようにしている。
第3ゾーン(古代の土地開発と狭山池)
奈良時代の改修(731年)には、行基が大きくかかわっていて、工事も行われた。762年には、国が、大規模な改修工事を行い、堤防が大きくなり、長さが、13mもある樋管をつぎたした。のべ83,000人が働いた。
第4ゾーン(中世の土地開発と狭山池)
重源座像
鎌倉時代、重源が、古墳時代の石棺を利用して、樋を作った。
第5ゾーン(近世の土地開発と狭山池)
江戸時代のはじめに片桐且元が、改修工事を行いました。
第6ゾーン(明治・大正・昭和の改修)
大正・昭和の初年の改修で、古くなった取水塔を開館に移設した。
鉄筋コンクリート製としては、全国でも古い例です。
午後より、狭山池周辺を散策。
狭山池は、西暦616年ごろ造られた日本最古の現存するため池農業用ため池から洪水調整機能をもたせるため、昭和63年から工事が始まり平成14年3月に狭山池ダムとして完成した。
均一型アースフィルダム。農業用水容量180万㎥と洪水調整容量100万㎥で総貯水量は、280㎥。
池の周りを一周できる遊歩道は、2850m。
① さやか公園:さやま遊園の跡地を利用整備された、防災倉庫・耐震性貯水槽などの防災機能を持つ公園。
② 西除川:河内長野市源流大和川水系1級河川
③ 西除非常用洪水吐:100年確率(1時間に75.8mm)の雨を超えて流入した水を放流。
④ 西除常用洪水吐:一定水量以上は、放流する超流堤。半円形で超流幅60m。水位tp79.2m。
⑤ バタフライガーデン:平成17年希少蝶シルビアシジミが狭山池で発見され、保護を兼ね蝶の生育場所として平成18年のオープン。
⑥ 鳥居:龍神社の鳥居
⑦ 龍神社:安政の改修時に石積みの上に祠を設け「善女大龍王」を祀り、龍神淵へ「如意宝大龍王」を祀ったと壷井家文書に記述されている。
⑧ 西樋・中樋・東樋の発掘地点
⑨ 取水塔
龍神社